島津義弘陣跡 | ||
住所 | 岐阜県関ヶ原町関ヶ原1869-3 |
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問合せ先 |
0584-43-1111(地域振興課) | |
0584-43-1289(関ケ原町教育委員会) | ||
ロケーション | 関ケ原駅北西 | |
JR関ヶ原駅 1400m |
徒歩 17分 |
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関ヶ原IC 2400m | 車 5分 | |
駐車場 | 4台 | |
WC |
なし |
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関ケ原の戦いでは義弘は北国街道を抑えるために小池神田布陣した 島津軍は柵も作らず、壕も掘らず、鉄砲隊を有効に使うだけで、東軍と積極的に戦う姿勢はなく、自陣に侵入する者のみを攻撃した しかし小早川秀秋らの裏切りによって西軍は総崩れとなり、島津軍だけが戦場に残った 約300の島津軍は家康陣営の前を強行突破、そして烏頭坂まで逃げのびた。東軍の武将達は執拗に島津義弘を追跡したが、甥の島津豊久の捨て身の戦法によって、80の兵と共に薩摩に戻ることが出来た<span |
関連する武将 | ||
西軍 | 島津義弘(65) | |
動員兵力 |
1500人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 薩摩56万石(鹿児島) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 薩摩56万石(鹿児島) | |