関ヶ原の戦い Battle of Sekigahara

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赤座直保・小川祐忠・朽木元綱陣跡
陣跡 不明(脇坂安治の西側、西から赤座、小川、朽木、脇坂)         
問合せ先
0584-43-1111(地域振興課)  
  0584-43-1289(関ケ原町教育委員会)  
ロケーション 関ヶ原駅南西  
  JR関ヶ原駅 - 徒歩-分
  関ヶ原IC  - 車-分  
駐車場 なし  
WC
なし
 
    脇坂安治の陣跡は現在地近辺であるが、赤座直保、小川祐忠、朽木元綱の陣跡ははっきりとわかっていない
  彼らは松尾山の
山麓の北側に布陣しており、小早川の寝返りに備えて、また福島・京極・藤堂とも対峙していた
  そして小早川秀秋の寝返りに呼応して、大谷軍を横から攻撃し東軍の勝利を確実のものとした
   しかし家康は彼らに厳しい戦後処理の査定を下した   

 

関連する武将
東軍 赤座直保 
動員兵力
600人
 
領地(関ケ原の戦い前) 越前今庄20000石(福井)
領地(関ケ原の戦い後) 所領没収そして前田利家の家臣となる
   
   関ケ原の戦いでは東軍に寝返り、そして石田三成の佐和山城攻めにも参加した
   しかし家康の査定は所領没収



関連する武将
寝返り軍 小川祐忠 
動員兵力
2100名   
  
領地(関ケ原の戦い前) 伊予今治7万石(愛媛)        
領地(関ケ原の戦い後) 所領没収
   
   関ヶ原の戦いでは東軍に寝返り平塚為広を討ちとったが、所領は没収された
 


関連する武将
東軍 朽木元綱 
動員兵力
600人
 
領地(関ケ原の戦い前) 近江朽木2万石(滋賀県)
領地(関ケ原の戦い後)  所領削減(9千5百石)           
   
   関ケ原の戦いでは東軍に寝返り、戦後佐和山城攻めにも参加した
   しかし家康の査定は領土の削減だった

  


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