松平忠吉・井伊直政陣跡 | ||
住所 | 岐阜県関ヶ原町関ヶ原福井908-3 |
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問合せ先 |
0584-43-1111(地域振興課) | |
0584-43-1289(関ケ原町教育委員会) | ||
ロケーション | 関ケ原駅西 | |
JR関ヶ原駅 200m |
徒歩 3分 |
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関ヶ原IC 1250m | 車 3分 | |
駐車場 | 5台 | |
WC | あり | |
松平忠吉・井伊直政陣跡は東首塚の境内の東隅にある 松平忠吉・井伊直政は物見と称して福島隊の猛将可児才蔵を騙し、福島隊の前面に出た。そして宇喜多隊目がけて発砲し、関ヶ原の戦いの火ぶたが切られた。その後宇喜多隊とは戦わず、本多忠勝と一緒に島津隊を攻撃した |
関連する武将 | ||
東軍 |
井伊直政(40) |
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動員兵力 |
3600人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 上野高崎12万石(群馬) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 近江佐和山18万石(滋賀) | |
直政は旧武田の家臣と家康の旗本などで、規律の厳しい最強の軍団を編成した。小牧・長久手の戦いでは大活躍し豊臣秀吉軍を苦しめた。軍団は武将から足軽まで甲冑、鎧、兜、旗、差物などを朱色に揃えていたため、井伊の赤揃えと呼ばれ、諸大名には恐れられた 島津義弘追跡中狙撃を受け大けが負う。その怪我が原因で二年後没する 井伊直政は徳川四天王の一人で、松平忠吉の岳父である |
関連する武将 | ||
東軍 |
松平忠吉(21) |
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動員兵力 |
3000人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 武蔵忍10万石(埼玉県) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 尾張清洲52万石(愛知県) | |
松平忠吉は徳川家康の四男、井伊直政の娘婿で、関ヶ原の戦い後は尾張清洲52万石の城主になった 関ケ原の戦いでは、初陣をかざり、島津豊久を烏頭坂で討ちとった |