細川忠興陣跡
細川忠興陣跡 | ||
住所 | 岐阜県関ヶ原町関ヶ原811-54 |
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問合せ先 |
0584-43-1111(地域振興課) | |
0584-43-1289(関ケ原町教育委員会) | ||
ロケーション | 関ケ原駅北 | |
JR関ヶ原駅 900m |
徒歩 11分 |
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関ヶ原IC 1950m | 車 4分 | |
駐車場 | なし(JAにしみの関ヶ原支店、ふれあいセンター) | |
WC |
なし(JAにしみの関ヶ原支店、ふれあいセンター) | |
細川忠興は自分の感情を抑えることが出来ない荒武者だったが、政治センスは抜群であった 文禄の役と慶長の役において活躍したが、秀吉への石田三成の評価は辛かった それが原因で三成とは不仲なり、徳川家康に接近していった 三成は上杉征伐で東征した大名の妻子を人質にする作戦を実行した。忠興の妻はガラシャは人質になるのを拒み、家老に自分を殺させ、屋敷に爆薬を仕掛けて火を放った この事件で忠興の三成への憎悪は増幅し、関ケ原の戦いでは三成と激しい戦闘を演じた |
関連する武将 | ||
東軍 | 細川忠興 | |
動員兵力 |
5400人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 丹後宮津18万石(京都) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 豊後・豊前39万9千石(大分・福岡) | |