丸山(岡山)狼煙場
丸山狼煙場(黒田長政・竹中重門陣跡) 国指定史跡 | ||
住所 | 岐阜県関ヶ原町関ヶ原732-27 |
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問合せ先 |
0584-43-1111(地域振興課) | |
0584-43-1289(関ケ原町教育委員会) | ||
ロケーション | 関ケ原駅北 |
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JR関ヶ原駅 1000m |
徒歩 18分 |
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関ヶ原IC 2200m | 車 5分 | |
駐車場 | 5台 | |
WC |
なし |
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国道21号線バイパスの瑞竜交差点を北へ上ると、岡山がある 岡山は小高い山で頂上からは関ケ原を一望することが出来る 左から南宮山、松尾山、南天満山、北天満山、笹尾山、そして中山道、北国街道、伊勢街道・・・・と、合戦の状況が手に取るように分かる ここで黒田長政、竹中重門は東軍に対して開戦の狼煙を上げた |
関連する武将 | ||
東軍 | 黒田長政(33) | |
動員兵力 |
5400人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 豊前中津18万石(大分) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 筑前名島52万石(福岡) | |
黒田長政は秀吉の軍師黒田官兵衛の息子 武勇や知力に優れた武将で、東軍の切り込み隊長として、猛将の島左近を側面から銃撃して倒したり、小早川秀秋や吉川広家の裏切りを画策した 文禄・慶長の役では活躍したが、秀吉への石田三成の報告書の長政への評価は辛く、それらが原因で三成と不仲となり、東軍に参加する決意をした |
関連する武将 | ||
東軍 |
竹中重門(28) |
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動員兵力 |
180人 | |
領地(関ケ原の戦い前) | 美濃不破6千石(岐阜) | |
領地(関ケ原の戦い後) | 美濃不破6千石(岐阜) | |
竹中重門は岐阜城が落城するまで西軍として参加していたが、その後長政の誘いに応じて関ケ原の戦いでは東軍として参加した 長政隊と共に石田三成と戦い、戦後は領地を安堵された なお長政と重門は幼少のころ岐阜県伊吹村で1年間一緒に過ごしたことがあり、旧知の間であった |
黒田長政陣跡/竹中重門陣跡